ラボを捨て、ビーチに出よう

Love-tuneから7ORDERへ:どこにいたって君がアイドルだ

真の強さとは・・

 「強さ」、これは小説「風が強く吹いている」でハイジがカケルに「長距離走者に対する一番の誉め言葉は何か」と問うたその答え「それは『速い』じゃなく『強い』だよ」というセリフから取っています。このセリフも有名なものだし、一見すると当たり前の言葉にも聞こえるけれど、日々の中で暮らして生きていくと、この言葉の重さを色んな形で痛感することがあります。目標に向かって頑張っている、皆と一緒に叶えたい夢がある、それに向かって一歩一歩進んでいく、歩み続けることは、実は本当に難しくて。ついつい本人自身も、周りの人も、その答えを「速く(早く)」であったり、「より高く」であったりするところに求めてしまいがちで、それがかえって「挫折」というものを引き寄せる・・本当によくあることだと思うのです。

 だからと言って、挫折は夢の「終わり」を直ちに示すものでもない。ほとんどの物語は、挫折で終わるのではなく、挫折から「始まる」物語であったりします。先日、推しの萩ちゃんこと萩谷慧悟くんが出演した仮面ライダーギーツのVシネ「ジャマト・アウェイ・キング」でも、「ガンダムSEED FREEDAM」でも、そんなシーンがありました。シリーズの主人公の1000年後の姿である白い英寿も、キラ・ヤマトもどこか挫折した存在として現れてくる。状況を変えられないことや、叶えることができない夢であったり、更に失望する出来事であったり、そういうところから始まる王道の物語が展開されていたように思います。彼らの「失望」や「挫折」に対して大きな、復活の力を与えてくれるのは、かつて挫折し道道巡りの中で自分なりの光を見つけた仲間であったり、愛をまっすぐに与えてくれる人であったりします。ヒーローたちのような存在になりたいというのがヒーローの仲間の一つのゴールになっている。そして、挫折したヒーローがそれにより力を復活させていく。2つの物語は不思議とそういう構造が似ていた気がします(今、気づいたんですが、やっぱり白いギーツはあのVシネのもう一人の主人公で、だから自分は気になっていたんだなって感じます)。

 もうひとつ、ギーツVシネとガンダムSEED FREEDAMに共通しているなあと、一見客の自分が思う点がありました。それは、映画という尺やフォーマットの中で、挫折と再生をストレートに過不足なく描き切ってるということなですよね。もともとどちらの物語も本編は、一筋縄ではいかない物語展開を長期間にわたって続けていった物語。ある意味人間のリアルな姿を描いていて、それを強調することがそのコンテンツの持つ「作家性」だと思うのですが、両映画ともそういう面も描きつつも、「意外と」ストレートに夢や願いに向かってそれを実現するストーリーになっていたように思います。それは今の不安定な世界や日本の状況におかれている一般市民が求めているもので、両映画の今回のヒットにつながってるような気がするのですよね。

 色んな正義であったり、事情があったりしながらも、その個人が挫折しているからこそ、その個人の目指すべきものにまっすぐ進めばいいし、挫折してるからこそその掴みたい夢は多くの人に共感し、支持されるんだろうなあって感じるんですよね。それは、これまでのその作品が見せてきたものとは少し異なるアプローチであるようにも思うのですが、その作品の中で「今、この現在に」、提示するべきものは何かということを真摯に考えている証ではないかと思うのでした。世界のあちこちで戦争が起きて武力で真正面からぶつかり、一般市民も子どもさえも大きな被害を受けている。戦争を行っていない国であっても彼らを支持し、戦争がやむことがない。自分たちの理想が大きく揺らいでいる世界の中で、私たちがエンターテーメントに求めるものの大きな理由の一つにそれがあるんだろうなと思うのです。辛さや生きていく困難をいっとき忘れる、いっとき癒してくれることもとても大事ですが、そういう厳しい世界に心の中だけでも立ち向かって、「本当の夢」に向かっていく力の土台となるような「挫折と再生の物語」を欲していることを作り手たちはちゃんとわかっている。そういう思いが生まれるこのところの映画2本でした。
 凄くざっくりと言ってしまうと、まるっとくくると7ORDERが面している世界でも同じようなことがあるんじゃないかと。そんな中で本当に自分たちを活かしていく底力をこの映画たちはくれるなあって思います。萩ちゃんのおかげでこういう2作に出会えてるのも、不思議なもんだなあと改めてしみじみしている今日この頃です。