ラボを捨て、ビーチに出よう

Love-tuneから7ORDERへ:どこにいたって君がアイドルだ

TVアニメ「テクノロイド・オーバーマインド」第10回

 テクマイ10話、本当にびっくりの展開でしたね。今は亡き白秋博士にKNoCCとエソラ少年のサポートアンドロイドとして作られたノーベルの導きにより、彼らの自宅に隠されていた最新鋭のラボに通され、その場で聞かされた白秋博士、エリザと、エソラの母であるエリザベス、そして、人間KNOCCたちの一部始終。それは、あまりに人間臭く、愚かで、身勝手に聞こえるものでKNoCCとエソラに「絶望」を与えるものでした。前回の彼らの一致団結のおかげで蘇ったコバルトの「エソラのせいだ」という言葉のインパクトと闇は、もうすぐ訪れるこのアニメの終着地点、そしてそこから続く10年に一体何をもたらすのか・・。作者たちはツイッターで「ちゃんと着地する」と言ってるらしいんですが、まだその副音声をちゃんと聞いていない自分には疑問符ばかり浮かぶのですが、さあ、世界が待ってるのでしょう・・・。それにしても、こんなにハラハラドキドキのアニメにこの年になって出会えるとは、それを萩ちゃんが引き合わせてくれた・・とは?なのです!

  • ライト役の萩谷くんが所属するグループのアルバムリリースでの過密な忙しさもあって、まだ1回きりしか見ていないので、色々と間違ってるかもしれないですが、ひとまずざくっと感想を書いておきたいと思います~。見間違い、聞き間違いしてたらすみません。しかし、この挑戦的に叩きつけてくるようなシナリオには勢いだけが武器です。いやー、太刀打ちできないけれど、まだまだ刀は振るっていたい~。
  • とはいえ、今回の白秋博士の私念と執着により泥沼化していった、KokoroプログラムとKNoCCプロジェクトに対して、心の底からは憎み切れないし、そこに人間の業と、智をやすやすと越えていってしまうエネルギーの源を再確認した気がしました。確かに白秋博士の念は美しくもないし、身勝手なところもあるし、どんどん周囲の人々が不幸になっていくのだけれど、そこには偶然のファクターの影響も大きかったと思うんですよね。エリザベスが死んだことも、人間KNOCC達が事故にあったことも、偶然。彼らが死ななければ、単に教え子に横恋慕していた教師であり、ちょっと身勝手だけれど悪気のない雇用主で終わっていたかもしれない。もし、白秋博士の罪があるというならば、その偶然を受け入れず、右往左往して、自分の執着をつなげていってしまったこと。しかし、その執着は、ほとんどのロボットにKokoroが備わることへの発見につながり、大きくロボットの歴史を塗り替えるものだった。エソラとKNOCCの出会いも物語もないものだった・・。
  • 今回の過去のお話でやっぱり問題なのは、事故にあって重体となって生存率60%である人間KNoCCに対して、白秋博士が彼らの救命よりも自分のプロジェクトを優先して彼らの記憶回収をやってしまったことなんですが、ここについてはもうひと踏み込みあるんじゃないかなあと、都合のいいことは考えてる昨今です。4人も何かの思いがあったのかもしれないし、救命と元通りになれるとはちがうのかもしれないし。そのような状況になった時に、ある選択肢が提示されたら・・と思ったりします。もちろん、そうであっても倫理的には救命だったんでしょうが・・・。
  • そんな美しくない(醜い?)親の過去も、奇跡でなかった出会いも、現時点でのKNoCCとエソラが見せている達成にはなんの傷もつけられないと思うのだけれど、その達成を更に完遂させるために、最後の辛い、辛いピースをあえて白秋博士=ノーベルは5人に示すのですね(もちろん、自分の親がああだったとは見たくはない姿であっただろうけれど)。アンドロイドのKNoCCたちには、人間が時にして陥る「絶望」の学習を。そして、一番の当事者であるエソラには、「事の真実」と白秋が犯してしまった罪(のようなもの)をありのままに。事実を伝えないことで、もしかしたら美しい(作られた)物語の中で、エソラは生きることができたかもしれない。でも、エソラの親として、そして彼らが陥ってしまった因果の作り手として、事実をつまびらかにしてきちんと伝えることが、白秋の親としての良心であり、古い世を背負って新しい世に伝える者の役目なのかもしれないなあと、ぼんやり思ってる次第です。しかし、本当にエソラが背負ったものは大きすぎる。。。そりゃ、ゲームでKNoCCたちに及び腰にもなるよねえ・・・。
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  • あとこの回のもう一つの重要なのが、ロボットたちのkokoroの起源と、過去の人物に如何に近づけるか(やっぱりマインドアップローディングとは根本的に違うものでした)・・と自分は感じたんですけれどね)のお話でしたね。前者については、突然あのゲームのツリーがでてきてちゃんと理解できてないけれど、前にも書いたように、基本、AIにkokoroは自動的に発生する。それを白秋博士は「発見した」でいいでしょうかね?そして、後者については、あー、こうやって人間スタアロの3人を模したアンドロイドスタアロが作られたのだなあという次回、次々回のお話に繋がるのでしょうね。そして、おそらく彼らが人間KNoCCと同じように命を落とす理由、そして、人間KNoCCも人間スタアロも、きっとアンドロイドの彼らに何かを託していたのだろうと思うのですよね~。それが「着地点」になるといいなあと思ったりしつつ、スタアロ回であろう第11回を楽しみにしています!本当に本当によろしくねーーーー!
  • ひとつこう来たのかと思ったのが、エリザがエソラの母をモデルにしたという繋がり。もしかすると同じような感じでゲームとアニメの登場人物がどこかで繋がっている(もちろんそれは今回のように直接的なものではないかもしれないけれど)というカードを出してくるんだなあと。それを思うと、ゲームのスタアロが足しげく通う孤児院は単に彼らのルーツということだけじゃなくって、彼らが、もしくは彼らに会いたい人がいるからなのかなとか。簡単に言っちゃうと、いつも出てくる先生がなんらかの形で回復したナギちゃん(人間)だったら・・みたいな妄想が生まれたりするのでした。もし自分の兄とそっくりの、色んなところで因縁のあるアンドロイドがいたとして、そのヒトにくだんの人間は会いたいかというと。おそらく意見は分かれると思うんですが、私だったら、彼らが自分の記憶を無くしていても傍にいてくれたらなあと思うんですよね・・。
  • 最後に、蛇足なりますが、こうやって人間の根源的な姿とアンドロイド制作との関係性がここまで描かれていると思うのですが、そこはかなり踏み込んでるなあと思うんですけれど、事前にお話されていた「アンドロイドの人権確立」のところにまで行きついてもいただきたいと思っております~。