ラボを捨て、ビーチに出よう

Love-tuneから7ORDERへ:どこにいたって君がアイドルだ

TVアニメ「テクノロイド・オーバーマインド」第6回

 全12回ということなのでちょうど前半終了の第6回。今回はネオンが自分に備わっていた能力であるアートの力に目覚める回。内在する力を目覚めさせるのはアートが、そして一緒に仲良く暮らしているエソラ少年やKNOCCのみんなが、「好き」という気持ちで、それを知ったネオンはまっすぐに自分の思いを、メッセージを、自ら発露させていくのであった・・というお話だった。一方で、その「好き」に対となるかのように、ロボットやアンドロドに恨みを持つ大学生の「憎しみ」や「嫌い」であったり、無辜の市井の人の素朴で根拠のない「不安」が描かれた回でもあったなと。

 更には、エソラ少年が通う大学であったり、ロボットやアンドロイドが必須である自然&社会環境であったりする状況であったり、KNoCCがアンドロイドであることを暴露されるSNSやそこでの反応がハッピーでなかったり、そしてBAR AIRとそこでバーテンダーをしてるカイトさんがいよいよ登場となんかほんと盛り沢山でした。背景が出そろって(いやナイトライトがわからんのだがw)、いよいよ大きな謎に向けて動き出しそうな、動き出して欲しい丁度中間地点の第6回目でした。エンディングにあるようにレコードが裏返されるのかどうなのか~。

  • その周辺背景だけれど、実際にはほとんどが物語として言葉で語られるのではなく、絵であったり(エソラの大学は新宿だから徒歩圏内なのかな?)、モブの人達のさりげないセリフであったり、単なる力仕事のバイトかと思ったらそれはアンドロイドやロボットしかできないであったり、BAR AIRの立地や雰囲気とかがなんかセレブっぽいであったりと、するすると体に染み入るように主に視覚からは行ってきてるのが凄いなと。だからこそ、今回のネオンとアートと「好き」の感情というメインの物語は丁寧に語ることができているし、その「語り」がきちんと全体の中に自然に埋め込まれるように感じられるのだなあと思いましたよ。前回もそうだったけれど、「丁寧」ってこういうことなんだなと感じられて嬉しくなります。
  • さて、やっぱりスタアロ推しとしてはBAR AIRに興味津々であったのですが・・。いや、なんか10年後のAIRのイメージと違うんですよね。人通りもちゃんとある表通りに面していて、お客様もお金持ちそうなカップルもいて、思ったよりも大バコで。10年後のとても治安の悪い地域の路地に、ひっそりと会員制で営業してるBAR AIRとは、違うAIR(10年前が新宿の伊勢丹あたりなら、10年後は道を隔ててゴールデン街にあるような)なんじゃないかと推しの直感として思うんですよねー。先日のゲームのミニストーリーでもそこらを強調するお話がアップされていたし、何か匂いますね(笑。上にも書いたようにこの辺の描かれ方ってちゃんと意味があると思うので、そのあたりの経緯がますます気になるので、ホントにそろそろカイトさん&スタアロサイドのお話も進めていただきたい~。
  • 今回のネオン回のメイン感情は「好き」であったのですが、一方で人間たちの憎しみや不安を描いていて、その両者は表裏一体なんだろうなと改めて感じた次第です。ちょうどSNSでのヘイト拡散も描かれていたけれど、人間は「好き」だからこそ簡単に「嫌い」であったり「憎しみ」にも転がっていく(一方でなんとなく流されて不安から好きに手のひら返しを無意識にしていくあの人のよさそうで怖いことをしれっと言っちゃうおじさんもいる訳ですが)。それは、このところのアイドルの恋愛などの現象でも容易にみられる訳で(いやー、ほんと実経験していますからな。もうへこたれませんが)、その根源として「好き」と「嫌い」の関係性があるのだと描いているようにも思えました。しかし、ほんと地味ですがアイドルものの本道も押さえておりますね!
  • 一方で、アンドロイドのネオンをはじめKNoCCたちは、そうしたヘイトを「悲しい(胸がチクチクする)」と感じはするけれど、人間ヘイトには繋がっていかない。それは、彼らがエソラというアンドロイドに理解のあり、彼らを必要としている人間と繋がることができたからというのは大きいのでしょうが、落書きを何回されても全くへこたれなかったように、目的やこころの志向性を何より重視するというアンドロイドのよき側面でもあるように感じました。ノーベルさんが手を尽くしてアンドロイドが人と同じようなkokoroを持つように頑張ってるけれど、その「人と同じように」というのが何をもたらしていくのか、そしてアンドロイドらしいkokoroの在り方もあるのでは・・と思ったりした訳です。
  • これはちょっと余談になりますが、10年後のゲームの世界ではノーベルさんは相棒のルゥマさんと一緒にアインザッツくんというアンドロイドを作り出しているのですが、これがアニメのボーラさん(一応kokoroを搭載していないということになってる)と同じように四角四面の、何にも知らないバブちゃんなんですよね。そこから彼はアンドロイドらしい思考の仕方を見せながらも、人間のkokoroらしい機微を少しずつ学んでいる。そういう様子を大変好ましく思ってる様子が描かれております。それを思うと、アニメの現地点からゲームにかけて何か「転機」があるのかなとも思ったりするのです。
  • 今回、卒論をアンドロイドの査読システムに「判定不能」と判断されしまいヘイトを溜めてしまった青年のお話ですが、悪いのはそのシステムというよりも、「判定不能」と査読システムが判定した後でちゃんと教授陣がもう一度検討するべきであっただろうと思うんですよね。少なくともこのアニメの世界線ではそうあるべきはずだったと。今後、アンドロイドやロボットの人権を認めていくとなった時に、そういう問題も考えられるのかもしれないけれど、やはり大切なのは、相互の特性や個性を理解しあって、相互に補い合っていくコミニティを作ってく不断の相互交流が大切なんだろうなあ・・なんて思ったりもしましたね。
  • KNoCCの4人には、明確なモデルがいて、そのモデルに近づく様に色々な配慮がなされていて、ノーベルさんがそれを先導している。しかしながら、そこで生まれた彼らのkokoroはいったい何なのか誰のものなのかという問いに向き合うのかもしれません。そのあたりへの答えもこのアニメの中で知りたいなあと思うのでした。