ラボを捨て、ビーチに出よう

Love-tuneから7ORDERへ:どこにいたって君がアイドルだ

TVアニメ「テクノロイド・オーバーマインド」第7回

 2023年2月15日深夜24時、テクマイの7回目が無事テレビ東京で放映されました~。応援してる萩ちゃんこと萩谷慧悟くんが演じるSTAND-ALONEが初めてがっつりと出演する回となりました。はーーー、ここまで長かった~。そして、放映されてみたら、スタアロがっつりとKNoCCと対立する敵役っていうか、しっかりとロボット排斥派側でなかなかにクズというかイヤな立ち位置で登場でした。ナイトライトもテクユニとは少しトーンが違ったりとか、バーテンダー姿であったりとか、何より本名(?)も発表とか、本当にファンのkokoroが七転八倒な状態になりました。
 さて、メインのストーリーは、ロボット排斥派が見せる差別と暴力の赤裸々な現実、その層の支持を基盤としているSTAND-ALONEの立ち位置、そして何の罪もないロボットへの差別と暴力を目の当たりにしたKNoCCの4人に激しい怒りの感情が生まれて・・という回でした。オーナーがいなくなってしまったか弱い野良アンドロイドに差別意識をむき出しにして暴力をふるう人間たちの姿に目を背けず描くこのアニメに、製作者たちが「ロボット・アンドロイドの人権獲得を描く」という言葉の意味の強さを改めて感じるのでした。

  • AIの進化の丁寧な記述と人間との心温まる繋がりをここまで描いてきたテクマイですが、ここに来てアンドロイドにネガティブな人々の激しいヘイト&バイオレンスを視聴者の心に視覚的に焼き付けてきましたね。目をそむけたくなるような描写もありましたよ。ボーラ警部補が説明してたように所有者がなくなって「モノ」になってしまったから、更に平気で過激な暴力が発現したということもありますが、ここで描かれたものはそれは今の時代にも人種差別やジェンダーや既存の枠組みに合わない人への差別や暴力と同じ構造であり同じ事実があることを「示したもの」と感じました。
  • いつだってどこだって、人間はなんだかんだと理由をつけて、差別する対象を作り出し、そこを欲求不満や自分自身の弱さのはけ口とする例のヤツを始めるんですよ。本当に醜くて、やっぱり人間はウ〇コだなと改めて思わせてくれましたし、そうアンドロイドは〇ン〇しないんだなとも思った訳ですよ。でも、行き物であるかぎり、そうした醜いウ〇コをするのも運命なのかしれないし、〇ン〇するから人間なのだから、なんとかそれをできるだけ綺麗に片付けていくこと・・それが人間の何万年のココロの歴史だったのかもしれません。こうした文明や経済の変化や歪みの元で往々にしてそういうウ〇コ野郎を生み出すし、ウ〇コぶちまけたような世の中が往々にして現れてしまう。主に経済的な理由などで〇ン〇を片付けることが難しい条件や場所でそれは生じるので、更にやるせなくなるのです。
  • そして、今回、ライトとナイトも共に登場したカイト率いるSTAND-ALONEは、そのような不満を自分の力で解消できず荒ぶったりくすぶったりしている人間たちの頭目的な存在となっているように感じました。反ロボット的な立場に立ち、更に煽情的なパフォーマンスで彼らの不満を吸い上げて解消していくような存在。それは計算ずくではなく、カイト(本名一ツ橋海翔)のような不幸を背負っていたり、今回、カイトとナギちゃんがお世話になっていた養護施設で育ったことが明らかになったライト(本名北ノ丸光灯)とナイト(北ノ丸夜灯)のように社会的に厳しい状況で育っていたり、そんな生い立ちの社会的な不幸が彼らの思いやパフォーマンスの原動力となっている。それは決して正しいことではないというか間違っているし、危ういことであるけれど、だからこそ「正しくない」場所で「正しくない」思いをいだいて生きている人々のリーダー的(カリスマ的)存在となってる・・そんな風に感じました。
  • 第6回の感想でBAR AIRの場所問題を書いたわけですが、第7回にはそれはちゃんとBAR AIRがモデルとなっている新宿歌舞伎町に似つかわしいダイヤモンド街(いや、ほんとあの看板よ・・よね。)の荒ぶる風景の中にあって一件落着となりました。テクユニで登場するあの路地みたいなところもちゃんとあったし。これからもそのあたり背景の統一感、どうぞよろしくお願いいたします。それにしてもあそこに集っている人間男女、めっちゃ昭和だなとなりました~。
  • そういう意味ではエソラ少年とKNoCCはとても守られた上品で経済的にも豊かな場所で出会えたという「幸運(であり白秋博士の守る力な訳ですが)」は大きいのかもしれないですね。第6話でアーティストに扮したノーベルさんが「お坊ちゃん大学の奴らに挑戦すべく」みたいなことを言ってたのが思い出されましたよ~。やー、ホントにそのあたりも計算済みなんですね・・。
  • そんなチャラくてイナタイ、粗暴で下品な感じが今回、初めてのSTAND-ALONE楽曲として披露された「Bring it on」に溢れているんですよね。個人的にはバブルの象徴であるユーロビートっぽい音楽だなと思ったし、90年前後のまだまだロックやダンスミュージックがまだアングラに近く、そこへバンドブームのような厨二的ごった煮状態が生まれてくる、そんな感じがしましたよ。歌詞もかなりエロ系だし、サビの部分のダンスなんてぐるんぐるん腰を回しちゃうし、いや、ライナイがそんな振付するなんて・・「キャーーーーッ」ですよ。うん、本当にテクユニ時代の絶対王者とは違う粗っぽさが溢れている様に感じました。
  • そんなおバカとは言わないけれど、色んな偏見や未熟さに溢れている2095年の人間スタアロが、どういう過程を経てアンドロイドの彼らに移行するのか、それはまだまだ謎に包まれているのですが、ひとつ思ったのは、おそらく人間スタアロとアンドロイドスタアロを違うものではなく、少なくとも周りの人間は、「同じ人とみなす」ところへ落ち着くのではということです。
  • そう思ったのは、10年後アンドロイドのスタアロもテクマイ時代と同様に孤児院に寄付をし、毎日の様に通って、子ども達や先生と交流をしていて「カイトにいちゃん」「ライトにいちゃん」「ナイトにいちゃん」と呼ばれているのですね。カイトたちも孤児院の子どもたちをまるで家族の様に思って大切にしている様子が描かれています。なぜここまで彼らが孤児院に心を砕き、孤児院の人達からも受け入れられているのかと言えば、それは単にお金とか交流回数とかではなくって、やっぱりスタアロの3人がその施設の出身の「家族」であるから、本人たちも周囲の人達もそう思っているからのこその「にいちゃん」なんだと思うのです。そこにはきっと人間の海翔&光灯&夜灯も、アンドロイドのカイト&ライト&ナイトも「同じ人たち」と見ていてくれている・・そんな救いみたいなものがあったらいいなあなんてぼーっと思っているところです。
  • さて、そんな物語の中で、萩ちゃんが声優としてテレビアニメで初めての長い尺をもらっての登場回となりました。まだ1回しかちゃんと見ていないのですけど、思っていたよりも自然で、アニメの絵の中にしっくり馴染んでるなあと少し感動しちゃいました。ゲームのライトくんがそのままアニメの中に登場している・・そんな感じもしましたよ。凄くアニメ的に自然だったなあと。歌詞もちょっとやんちゃな感じの声の出し方で、人間時代のスタアロっぽさがあったような・・。いやいや、本当に感動でした。
  • 萩ちゃんは、舞台での演技仕事はかなりあるのですが、割とまっすぐな熱血漢であったり、優しいよい人であったり、武骨なガンマンだったりと、ベビーな役が多かったので、こういうチャラくてちょっとイナタい系の役は初めてだと思うのでそこも楽しみですね~。
  • 最後になりましたが、それでもやっぱり人間スタアロとその一派がやってることを許していい訳では当然ないのです。KNoCCも、そして視聴者の多くが感じた差別と暴力への「怒り」。我々を強烈に突き動かす原動力を学習したアンドロイドがどう時代に向き合い、「怒る」こと、そしてそこから立ち上がるパフォーマンスの強さと美しさを感じ取ったカイトたちが代表する人間たちがどのようにアンドロイドに向き合うのか。そして、「人を助けるのに理由なんていらない」というセリフが繋ぐスタアロとKNoCCの絆の謎。更に大きな陰謀や悪意も絡んでの第8回が本当に楽しみです!