ラボを捨て、ビーチに出よう

Love-tuneから7ORDERへ:どこにいたって君がアイドルだ

TVアニメ「テクノロイド・オーバーマインド」第4回

 テクマイも4回目、早いもので1月も最終週です~。まださくっと2回弱しか見ていないのですが、アニメ素人よろしくストレートな感想を書き留めておきたいと思います~。今回は、デンタパーク(ああ、10年前のデンタパークというだけで涙出ちゃうよ)でのヒーローショーでのKNoCC、特にケイの活躍を中心に見る側(子どもたち)を喜ばせて、観客と一緒にエンタメを「楽しむ」という感情を経験して、kokoroがまた一つ発達する・・という本筋でした~。KNoCCのヒーローショーめっちゃ楽しかったね。元々、クロムくんも準推しなんですが、彼らしい少し情緒がない(ってか、なんでも楽しそうでですよね、彼。そこが好き)、そこがいい感じでわるっちい悪の幹部最高でしたね~。そして、エソラくんは大学行ってる?大丈夫??(笑。

  • そんな本筋(こっちが本筋なんだとは思う)と並行して、人のロボットの受容に対するいざこざであったり、海面上昇の様子であったり、以前いたケイにそっくりの人物のことであったり、ボーラさんの追求捜査から少し見えてきたkokoro(人工知能の発達)の秘密、のお話を上手に散りばめて描いていたなあと。そして、やっぱりスタアロファンなせいか、その周辺部分がついつい本筋に感じてしまうんですよね。
  • 今回、一番気になったのが、ボーラさんにも実はkokoroが備わっているのではないかということ。上司がもう調べなくてもいいんじゃない?と言ってるのに(事なかれ主義故のことだろうし、ある意味、ボーラを守る的な感じで本人は言ってるんだろうな)、KNoCCのプログラムを詳細に調べ、実際にプロトタイプみたいなのでそのプログラムを動かしてまで、実際のKNoCC達との違いを非常に気にかけ、上司の命令を越えて、彼らを更に調べるべきだと直感的に感じている様に見えるんですよね。そして、ボーラさんは、自分の行動を正当化するために、「ロボット3原則」の特記事項まで調べていると。つまりは、周囲の状況とは異なる「自分の意思」のようなものを持ち、それに従って(それを貫くために情報を利用する)行動しているよね・・。それは、家族や子どもについて反応して行動を起こしていくKNoCCの4人と違いがないのでは?と思ったんですね。
  • テクマイ時には特別な存在であるKNoCCの4人のようなアンドロイドが10年後には巷に溢れている。副音声で言っていたように10年の世界でもアンドロイドへの差別な見方は全部なくなる訳じゃないけれど、10年前の完全に分断されている世界とは異なるようになっていて、それを大きく後押しするのがkokoroの存在だと思うのですよね。この世界にも非人間の存在に対する保護や権利の考え方はあるけれど、たぶん、テクマイ時代のアンドロイドの保護ってそういうものであるけれど、それは「非人間」だからやってあげるとなる訳で、動物愛護みたいなもの。そういう状況から、非人間が人間と同じようなkokoroを持ち、主張を、要求を、意思持つ存在であるという人間側の「認識」がどのように変えられていくか、「当たり前」という思いになるのか、自分たちと同格の存在となっていくのか見せてもらえたらなあと思うのでした。
  • 今回の後半、kokoroのシステムが動く機構みたいな話まで始まってるんだけれど、まだ正直理解できていないのでもう少し進んだら整理したいな。そして、ケイに似てるsoloの存在だけれど、直接繋がりがあるというよりはsoloに似せられて作られたアンドロイドがケイで、でも、ほとんどsoloと同じようなkokoroや機能を持つに至っている・・ということなのかもしれないなあと。それは、人間スタアロとアンドロイドのスタアロの関係性かもしれないので重要な部分かもですね。
  • 今回のケイとsoloのお話から推測すると、「人間からアンドロイドへの直接移行(マインドアップローディング)」ではなく、アンドロイドはある特定の人に似せて作られ、人工知能(kokoroや)や巧妙なプログラムによって、その特定の人間にかなり近い存在になりうるという可能性が描かれたように思います。つまりは、アンドロイドスタアロもそういう存在であって、人間のカイトさんの人格がそのまま載せられているのではないのかもですね。でも、そうなると、ある人に似せて作られて、その人とは独立した自我を持った場合に、やっぱり「自分って何?何のために、誰のために」となるのかもしれないですし・・。だからこそテクユニのカイトさんは「本物」にこだわるのかもしれないし・・。
  • この3回と4回の間にテクユニのSTAND-ALONEの楽曲の歌詞を改めて読んだんですが、そこには人間からアンドロイドになった自分の悲しみや怒りや葛藤、もしくは、自分という存在が単にある人間の写し人形だと知ってしまったアンドロイドの絶望、と、そこからの精神的復活が歌詞に綴られているのかなと驚愕しましたよ。銃口を自分自身に向ける(For what, for whom)、塔から投身(Not STAND-ALONE)って、ある意味そのまんまなんかもしれない。ぜひアンドロイドであるスタアロの精神的復活までこのテクマイの中で語って欲しいなあと切に願います。
  • これはずっと思っているのですが、「I Dempty」という言葉は、アイデンティティ(Identity)と音的に凄く近くて、からっぽなはずのアンドロイドがアイデンティティを確立するということを示唆している・・のかもしれませんね。まー、人工知能モノの王道であるし、偶像という意味であるアイドル物語でも同様の問いかけがなれることが多いから、やっぱり人工知能(アンドロイド)とアイドルは同型である・・という認識があるのかもしれないなあ・・。
  • でもって、その促進の一旦をノーベルさんが担っているということが今回かなり明確化されたなあと感じました。だんだん出オチ的になっていくノーベルさんのコスプレも大好きなのですが、後に「闇マスター」と言われるようになってしまう彼の今のステイタスになっていくのか、ほんと知りたいこと沢山だな~。
  • さて、今回、はっとさせられたのが海面上昇して、多くの家や住居が水に半分使っているのに、みんなそれはそのままにしてるのよねー。昭和の人間では、そこには住めないから、取り壊すよね・・と思うんだけれど。その風景は、街の荒廃であるのか、自然との不思議な共存関係なのか、そのあたりのお話も知りたいなあと思うのでした・・。って知りたいことばっかりよ、テクマイちゃんは!