ラボを捨て、ビーチに出よう

Love-tuneから7ORDERへ:どこにいたって君がアイドルだ

切り花の美、地上に根を張る花の美

 このところ色々とアイドルとは、グループとは、人気とは、みたいなことを考えることがぽつぽつとありますよね~。よそ様のことなので、色々と一般論的なことを言いたくなることをぐっと抑えながらぼんやり考えていたりする日々です。ツイッターのTLの皆さんの発言など見ていると、やっぱり自分はいわゆるジャニオタじゃない、自分はごく普通の価値観を持ってるつもりなんですがなんか違う・・と改めて思ったりする・・そんな感じです。

 その中で、色んなアイドルの風景を見てて感じるのは(ある意味ファンもそうかも)、若いアイドル(アイドルに限らずですが)が何かをやろうとした時に、どうしても「時間」というものを基盤に色々と考えてしまうのだなあと、山あり谷ありでアラカンを迎えつつあるおばちゃんは思うのでした。なぜあんなに「自分達(もしくは彼ら)には時間がない」と言ってしまうのか。もちろんある程度考えての結論なのでしょうが、いやね、ほんと、人生は長いのよ、考え方にもよるけれど、「いつだってやり直せる!OK!」な生活が染みついてしまってるのですよね。そして、何かを習得し、完遂するためには、長い時間がかかるのですから、と思っている日々であったりいたします。

 ただ、先日の有明は東京ガーデンシアターでのFINAL公演で少しだけ、やはり「時間の制限」というものはあるのかもしれないと感じたことがありました。それが、ほとんどのファンをうっとりとさせた、極上の美しい時間。そう、顕嵐くんが監修したという白い花をモチーフにした白のロング衣裳に身を包んだ長妻くんのピアノソロでした。なんと、リハーサルですが、昨日公開のFC動画でその様子を見ることができるので、ぜひまずは見ていただければと思います。1分50秒のところです!

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 いやあ、あの時間、本当に美しくて、清らかで、「アイドルのライブを見ている」・・という景色を剛速球で見せられた気がしました。そして、色んな要素があったけれど、あそこではやっぱり現在24歳の長妻くんから解き放たれる「若さの美」があったように感じるのでした。そして、その美は、25歳の顕嵐くんがモチーフとした白い花(コサージ)によって鮮やかに表象されている、そんな完璧な世界の様に感じましたよ。これからどんどんながつもピアノも上手くなって、バンドやオケが作り出す音楽ももっと高度になって、ドラマチックな演出もできるようになるかもしれないけれど、「この美」は今ここだけ・・そんな若さの持つ輝きとどこかにある儚さを感じさせてくれたように思います。

 でも、というか、つまりは、と思うのは、この美しさは今ここだけのものであるということ。それはまるでこの白衣裳のように「切り花」だから見せられる、「生け花」だから見せられる美しさなのではないかなあと感じるのでした。切り花は切り取るから、そしてその美しさを引き立てるために、美しい盆に美しく飾るから「更に美しい」。でも、切り取られてしまっているが故にその美しさは時間が限られたものである・・。そう遠くないうちに萎れていく、だからこそ更に美がある。それが、アイドルファンが求める美しさ・・という気も反面でしてしまったのですね。
 一方で、世に割く花は切り花になったものだけでない。綺麗な花壇に植え替えられていく花もあれば、空き地や放置された花畑に自然に生えてくるようになった草花もある。少し歩けば毎年咲く木の花にも会うことができる。それは、完璧に作られたものではないし、花がない季節だってあるし、何より花を咲かせるまでに時間がかかるし、それが「見事」と呼ばれるようになるまでには更なる時間もかかる。でも、一度、そうなれば何年も、何十年も花見をすることができるようになる。とても自然で、ある意味とても制約があるものだけれど、とても美しいもの・・そういう花もあるのですよね。

 そして、7ORDERみんなが、もしくはそれぞれに見せてくれようとする花は基本後者なのだと思うのですよね。自分の力で自分を咲かせていく、そして長い目で見て、その花木を育てていくあり方。そして、時には、今回のガーデンシアターのように美しい切り花のような光景もみせてくれる。前者をベースに置きながらも、後者も忘れない・・。花が美しく咲けば、一枝もしくは一輪二輪といただいて人工の美を作り上げることもできる・・そんな風な成長と循環ができてきてるのかもと思ったのでした。

 でも、まず大切なのは、自分がちゃんと根を張って、花を咲かせられるような植物になること。その木を育てるための土地を見つけること。そこが大事だったんじゃないかと、その土地を自分は見つけたい、切り花として誰か美しく飾られるのではなく・・と向こうの彼らは思っていたんじゃないかと思うのでした。そう思うと、やっぱり2018年の祭りの最後の曲が「大きな花、小さな花、一つとして同じ花はないから、その花を咲かせることだけに一生懸命なればいい」と歌うものだったというのは、本当にそこにこそあのおじいさんの心があって、それを彼らはいまも継いでいってるのかもしれないと思うのでした(あー、ほんとそれを語りだすと、「どの花もみんな綺麗だね」でいつも推しの萩ちゃんがアップになっていたの、どんな予言なのよとねえと、どんどん綺麗になっていく萩ちゃんを思いつつしみじみするのでした)。