ラボを捨て、ビーチに出よう

Love-tuneから7ORDERへ:どこにいたって君がアイドルだ

舞台「死神遣いの事件帳-鎮魂侠曲-」感想その2

 舞台「死神遣いの事件帳-鎮魂侠曲-」東京公演は8月2日に無事にサンシャイン劇場での千穐楽を迎えました。そして、明日5日からは梅田芸術劇場ドラマシティでの公演になります。そこから福岡サンパレス、広島上野学園ホールと上演が続いて、8月15日広島にて大千穐楽となります。よその舞台では、舞台関係者の方のコロナによらず体調不良が出ただけでもその日の公演が中止になることもあり、そんな厳しい日本の演劇状況が続いている中、どうかこの舞台のキャスト&スタッフの皆様の尽力、ファンの方々の思いが、天に届きますよう祈るばかりです~。でも、こんな状況だからこそありがたいことに、8月8日大阪千穐楽日のマチソワ両方とも配信になるとのことで、私もさっそく配信チケットを買いました。ドラマシティの舞台は初めてで本当に楽しみです。そんな風に、お芝居の新しい流れが軌道に乗って、より多くの愉しみや可能性が広がっていくように心から祈っております。

 さて、私の実際の現場はすでに終わってしまいましたが、2回目(30日)に見た時は前回書いた個々の事柄が更に有機的になっていて大層ゾクゾクが止まらない舞台になっていました。役者さんと役者さんの掛け合いの妙、練られて練られて練られてきた間が作り出す躍動感、そして役者さんの中に湧き上がってくる感情の温度。どれも素晴らしくって、こういう作られ方をしてこその芸術である「演劇」がどうかこれからも続きますようにと更に祈ってしまうのでした。それにしても、素晴らしい空間でした。

 そして、何回か見るうちに、このしにつか舞台の中で語られる「命」や「魂」というもの、そして、「人が仲間と共に生きていくこと」の大切さを「命」や「魂」に込めていく脚本・演出の毛利さんのメッセージが心から好きだなあと思った訳です。映画の中で、新之助はひとりで戦いに行くことで多くの犠牲を出してしまった。でも、その後悔をまっすぐ前を向いて超えようとしていく。一人ではなく、自分たちの仲間と一緒の「一家」として生きていこうとする。そして、その仲間たちは、「命」や「魂」を分け合う仲間なんですよね。その象徴として、死神が遣われる人(たち)から少し命をもらって、更に強い力を得るという表現になる。十蘭も、前に遣われていた幻士郎のこともあり、「魂」を奪うことに大きな躊躇を抱き、それが舞台前半での新之助との関係性に影響する訳ですが、最後にはその魂のやり取りを通じて、更には仲間たちとも魂のやり取りをして、大きな仕事をなす・・という構造になっているのが、心からグッときました。個人的には、この様子が、実のところ、7ORDERというグループの在り方と非常に近いところがあると思っておりまして、毛利さんにはいつの日かでいいので、7人のための戯曲を書いていただければと心から願うのでした。

 そんな風に、十蘭はそんな遣われる人間からだけ「魂」をいただいている。過去には恣に人を殺し魂を食らっていたけれど、本当に信頼できる死神遣いである幻士郎の父と出会い、一部的な魂のやり取りをするという様式に落ち着いている。ある意味、人が「命を懸ける」ことの触媒。そして「人が本当に生きること」の触媒として、存在しているのが死神十蘭だと感じるのです。だから、十蘭は自分のためだけには魂を味わうことはない。そこは、あくまでも魂の狩人としての死神の美学を貫く百目鬼とは違うところなのでしょう。どうして十蘭がそのような境地に至ったのか・・。そこには幻士郎の父幻太夫との出会いがある訳ですが・・・。個人的には十蘭の衣裳が法衣であるように見えてめっちゃ気になっておりますが・・・。は~、これからこの座組にどのような運命が待ち受けているかはわかりませんが、どうか次の物語につながるように祈るばかりなのでした。