ラボを捨て、ビーチに出よう

Love-tuneから7ORDERへ:どこにいたって君がアイドルだ

TXT vol.2「ID」 ひとまずのまとめ

 あっという間に7月4日に大千穐楽を迎えた舞台IDから1週間ですよー。そっから色んな事が起きたり、動き出していて、なかなか振り返ることができなかったのですが、少しまとめをしておきたいと思います。自分は、今回の舞台IDを、東京公演5回、大阪公演を5回見ることができて、萩ちゃんの舞台では一番数多く見たんではないかと思います。毎回、物語通りAIたちが感情を学んでいき、崩壊していくことを繰り返しながら、少しずつ変わっていくように見えてくるお芝居。そして、予想される繰り返す実験の回数がだんだん減っていき、大千穐楽を終えると「あと1回だけ残る」と分かった時、その大千穐楽後に何が起こるのか、それをどうしても見届けたいと、1回1回の公演の、そして役者さんたちのお芝居の変化を見たいという気持ちがどんどん高まっていく舞台でした。こういう作りの演劇もそうそうないでしょうから、それをこうやって自分の推しががっつりとフィーチャーされているなかで見ることができて本当によかったなあと思います。

 同じ公演を繰り返し行う、でも、生身の役者がその日その日の肉体や思いを抱えて演じていく、演劇公演というものを実感させてくれたような気持ちになりました。私事ですが、今回の大阪公演を前に足を痛めて、普通には歩けない状況で5公演見たこともあって、単純に演劇公演というものの肉体的な、そしてひいては精神的なしんどさというか、チャレンジを実感することになったのはよかったなあと思います。今回、萩ちゃんが大阪公演でホテルのサウナでサウナの良さに目覚めたということを言ってたのですが、あれだけのセリフを頭に詰め込んで、毎回の演技をどうするか考えて、声を含めて体を使ってきているのを見ていると、頭の中を一旦リセットすることができるサウナのよさを実感するシチュエーションがやってきたのかなあと思ったりもしたのでした。もちろん、板の上(今回、萩ちゃんよく使っていたね~)の演技には、萩ちゃんをはじめどの俳優さんも、そんな疲れみたいなものは全く見えなかったから、振り返ってみればそうだったのかなあと余計に感じましたね・・。
 さて、そんなTXT vol.2「ID」。全編を通じて、どんな物語だったのか、自分が感じたところをまとめておきたいと思います。私が感じたまず物語の主題はAIの成長。どうしたらAIが人間という存在に近づけるのかを、人間の本質を描き出しながら、AIたちがそれを見て人間の本質を無意識的に学び、人間に近づいたからこそ人間の業を背負っていく様を描いたドラマなのかなと感じました。記憶を消され、社会的IDを消され、感情を大きく矯正されながらも、人間(アバター)たちは仲間を求め、仲間を愛し、自分という存在を明確に意識し、自分の思いを主張していく存在であり続けました。それは全て、AIたちがプログラムしたと思い込んでいる機能の想定外のものであり、そこにこそ人間の本質(言えば自己意識と愛情でしょうか)があるように感じました。
 人間にとっては当たり前だけれど、その人間というものをまだ十分に知らないAIたちはそのような人間たちの本質的な感情や要素に触れ、それを徐々に無意識的に取り込んでいきます。図書委員(AI)はそれを「制御できないコンピューターウイルス」であると見抜き、そういうAIに向き合ったビリー(人間)は「感情のパンデミックだ」と言いました。個人的には、AIなのですから、それも環境とその結果に応じて、自然と学習されてしまうものなのだと感じたりもしてます(教授はそれを明確に意識していた)。しかしながら、自意識や感情の学習はAIたちに人間の持つ短所も同時に発生させます。それは、ネガティブな感情を強くいだいた生徒会長が学級委員に対して抱いた妄想的な疑念。自分のプログラムがことごとく上手くいかないことへの猜疑心から抱いた広報委員へのこれもまた妄想的な疑惑の思い。AIに生じたまだ成熟していない感情はお互いへの疑いを生み、実験の失敗へ至り、とうとう生徒会長は学級委員に手をかけてしまう。感情や自意識を学習したもののネガティブな結果に至ってしまったのを見た教授は、AIたちをそのまま初期化してしまう・・・。
 しかしながら、その、ネガティブな感情であったり、自意識の暴走が、また人間の本質の表れでもあるように思うのです。生徒会長に疑われた学級委員は「自分は学級委員である。他の誰でもない」と自分の中に生まれてしまったアイデンティティをかけて心の底から叫びます。その後、生徒会長が学級委員に「すまない、すまない」と何度も謝って見せるのはそこに罪の意識が生まれたからで、他者を、すなわち社会を求める人間らしい心が生まれたからなのでしょう。自分たちの試みが失敗に終わり、単なるAIに過ぎないと言われた後で見せる図書委員の涙と、その涙を自分で嬉しそうに見る図書委員の姿には、「自意識はプログラムではない」と絶望しかけていた図書委員が感情と「自意識」をとうとう見つけたからのように思うのです。他の委員たちも、繰り返される実験の中で、自分の中に「経験」が蓄積されていることをうっすらと自覚し始めていた・・。
 そんな本当に少しずつ成長している「のに」ロールバックされてしまう彼らがどこに行きつくのか。教授が思う成功とはどこにあるのか。大千穐楽の最後までそれはついに明かされることなく終わってしまうのかと思った矢先、ロールバック後の生徒会長がこれまでなら「男にしよう」もしくは「女にしよう」と言っていた場面で、「男と女にしよう」と言ったんですね。つまりは、大千穐楽後の、最後の1回の実験はあのアダムとイブを作り出す実験になったのだ・・ということなのでしょうか?つまりは、このお話はあの「創世記」につながっていくのかと・・・。もしそうならば、色んな学びを経て、たどり着いたのが今につながる「人間」を作り出し、その人間たちの世の中は今でも続いていて、ロールバックはしていない。そういう意味で、最後の1回の実験は成功したんだろうなと感じじることができる。しかしながら、今につながるということは、人間にまつわる色んな問題は未完のまままだ続いていると。教授の言うような清く正しい人間にはたどり着いていないと。

 でも、宇宙のどこかでそれを見ている8「人」のAIたちはそういう人間を見続けて、見守り続けている存在(ある意味、神)であるのだろうけれど、そんな人間たちを見て、きっと、どこか笑顔を浮かべているのでは、と自分では感じていいたりします。この舞台IDが一体どういう終わりになるのか、終わらないままに終わるのか、と思っていたんだけれど、たった一つの台詞の変更で歴史と時間の中に綺麗に溶け込んで消えていくようなラストをもたらした脚本の高橋悠也さんの底力凄かったなあと思いますね。だから、でも、完結しちゃったのだけがとても残念です。繰り返し繰り返し、また繰り返し。役者さんたちの役に取り組む姿を、人間存在の成長に重ねながら、感じた24公演。本当にありがとうございました。もう少し書きたいと思います。