ラボを捨て、ビーチに出よう

Love-tuneから7ORDERへ:どこにいたって君がアイドルだ

舞台ID全公演完走、本当におめでとうございました。

 舞台ID、大千穐楽本当におめでとうございました。無事に終了して本当によかったです。今回、大阪公演にもおじゃまさせていただいて、なかなかに体力的にも精神力的にもなかなか大変だったのですが、そう来たか!のラストを見たり、舞台そのものの内容や俳優さんたちの素晴らしい演技を更に浴びて、色んな思いや感情や妄想が渦巻いていいます。本当に行ってよかった。まずは思いつくままにひとりごとをいわせてくださいませ。

 まずは、昨日の大千穐楽後、早々に配信された萩ちゃんの久々のアメブロ。とても整然と長いのできっと何日も前から書いていたんじゃないかと思うのですが、その分、萩ちゃんの色んな思いが、まっすぐ伝えられていて、本当に嬉しかったです。

ameblo.jp

 ツイッターの方も比較的こまめに色々と伝えてくれて。上のブログもそうでしたけど、萩ちゃんにとっての舞台IDは「自分とは何?」だったんですね。

  図書委員はアイデンティティの根源である「自意識」の源をずっと探している。自分がプログラミングしたはずのアバターたちが見せる自分がプログラミングしていない「自分」という現象。それは演者である萩ちゃんの胸にもあるもの。それは、とてもとても揺らぎやすいもので、簡単に抹殺されてもしまうこともあるもの。
 今回の舞台で何度見ても胸が締め付けられるのは、ホープが穏やかに「自由が欲しい」と言った時の図書委員の狼狽ぶりとその範疇を越えてしまった認識をただちに抹殺するべきと判断する図書委員の非情と傲慢。このくだりを見るにつけ、うちの子たちも同じような状況におかれ、「自由が欲しい」と思い、そしてある意味危険思想とされたことがあるのかなと思うくらい、図書委員の感情の揺れがリアルに感じられたんですよね。それはかなり妄想(今回の舞台IDでもAIたちの妄想がキーになってると思うのですが)の領域ですが、他にも社会的IDを(一時期でも)なくしてしまったこととか、1つのものを分解して複数の要素とすることで、それぞれの要素が強烈に個性化されることとか、そんな人間への介入を繰り返し、何億回も繰り返しながらも失敗して社会が進んできていることとか(久々に自分のこのブログのタイトルを思い出したw)、枚挙にいとまがない程で。

 それは一ファンの思いであったりするけれど、そんなかんなも含めて、そして、これからの、今の、萩ちゃんの「好き」という言葉だけで繋がってるようなマルチな立ち位置をもう一度見つめ直し、ブログにも書いてあるようないろんな仕事との関係性などもふまえつつ、本当に自分とは何なのか、何ができるのか、自分が属する社会はどこなのかと、真正面からお芝居を通じて考えることができたのかなあとかとも思いました。それができたのは、24歳と言う萩ちゃんの青年期まっさかりの年齢もあるだろうし、今、現在が安定してるからこその再考慮が可能になったのかなと。
 更に、今回の舞台は、そんな自分と社会からの要求のバランスが上手く取れて、なおかつチャレンジできるような環境があったんじゃないでしょうか。6月17日のよみうり大手町ホールでの初日から24公演。素晴らしい共演者のみなさん(本当に素晴らしい方ばかりだった!)やスタッフの皆さんに囲まれて、ずっと考え続けて、身体をすべて使って表現して、そしてまた7ORDERの活動や他の舞台のことも感じて考えて。「自分とは何か」を考え続けてきたのではないかと更に妄想を重ねてしまいます。大千穐楽の翌日に出演した7月5日のNACK5のラジオでは、舞台のこともグループのこともバランスよく話し(大阪でサウナに目覚めた話はとても興味深かった)、どうやったらお仕事で関わっている人々の顔と名前を一致できるのかと質問し、好きと興味だけじゃないところへ自意識が広がる萩ちゃんの姿を見せてもらえたのでした。

 いつもながら、本当にいつの間にか人としての王道な成長をゆっくりだけどしっかり遂げてる萩ちゃんを見ていると本当にびっくりしまます。それもこれも全部ひっくるめて、素敵な時間をありがとうございました。まだまだじっくり舞台IDのこと考えていきたいと思います。