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斬月舞台小説版のざくっとした感想(ネタバレだよ)

 本日、「小説仮面ライダー鎧武外伝 仮面ライダー斬月」(長い題ですねえ)が発売されました。いや、こんな風な作りになるなんて本当にびっくり。色んな形の小説化の方法があったかと思うのですが、最終的にこういう形になったのは、まずは舞台の登場人物たちへの深い愛情ゆえでしょうし、もうひとつにはそのすべての始まりの鎧武という物語への大いなるリスペクトがあったからだと思います。その狭間で、もっと語れたことをあえて語らなかったようにも思うのです。その一つ一つの理由を思うにつけ、そういう判断に至った美しい思いをつい想像してしまい心が震えるのです。そんな訳で、まだ2回読んだばかりなのですが、ざくっと感想を書きつけようと思います。

 さて、その前に、この小説の文庫本版の帯を舞台でアイム役だった萩ちゃんこと萩谷慧悟くんも書いていることが発表されました。主演の久保田悠来さんの帯の件は知っていたのですが、萩ちゃんにまでその大役が来たことに本当に感激です!

  電子書籍版も読みやすくって、特に自分のようなおばちゃんには本当に目に優しいので、とても素敵なのですが、こういう紙の書籍ならではの付録感も嬉しいですし、この帯のついた本を実際に手に取って感じる喜びもひとしおでしょうね(まだ入手できていませんがw)。萩ちゃんも常々「アナログのよさ」を訴える方ではありますし、そんな意味でも、萩ちゃんがこの作品に関われたことに嬉しさを感じます。

 さて、いったん折りたたんで感想をしたためたいと思います。当方、この舞台版から仮面ライダー鎧武の世界に入った新参者で、アイム役の萩ちゃんのファンということで、かなり見方が偏っていると思います。そういうバイアスがあることをご理解いただければ本当にありがたいです!

  舞台が貴虎さんの本当の「変身」に至るまでの物語ならば、小説版はその「変身」の舞台となったトルキアにいた影正やアイムやグラシャという子どもたちの背景と心の中に迫る物語。もちろん舞台版だって彼らのことは十二分に描かれていたようにも思うけれど、舞台での疑問に答えたり、更なる深い設定を与えてくれたり、そして彼ら自身が本当の「変身」のきっかけを見出すところまで描いてくれたのは本当に嬉しかったなあ。なんていうかその記述の細かさというか「なぜ彼らはそうしたのか」というところを独白と言う形で丹念に描いてくれていて、その執拗さと愛情に、読んでいて感謝に言葉ばかりでてきてしまうという。中でも、力を入れて書いてくれているトルキアの情勢や、子どもたち一人一人が経験した悲惨な状況(個人的に、アイムたちが仲間のための墓をつくっていく、そこで痛感する命の真のリアルな重さを吐露する場面では泣けてしょうがなかった)をこれでもかというくらいに描いていく。そこまでして、ようやくあの子どもたちが戦っていたことを、戦わなければならなかったことを描き出せる。アイムとグラシャが戦わなければならない理由も、彼らが本当に掴みたかったものを描きださせなければいけなかった。繰り返しになるけれど、作者の毛利さんはそれを描いてくれた。そこが、その子どもたちが大好きな自分にとって本当に嬉しかった。彼らをきちんと生きた人間にしてくれて本当にありがとう、。
 ある意味、彼らは、鎧武という大きな物語の中で見れば、小さな存在なのかもしれない。あくまでサイドストーリーの、大きな物語を更に描くための悲しいエピソードだったのかもしれない。でも、舞台の登場人物のひとりひとりに大切な物語があって、それを背負ってのあの舞台ひとつひとつのシーンだったということをこの小説ははっきりと描いてくれた。それは、上に書いたような彼らの過酷な運命と戦う必然性だけでなくって、舞台で垣間見えていた彼らのキャラクターというか人物像ー舞台であんな風に話し、あんな風に感じていた、あんな風に動いていたというひとつひとつの動きーその息吹を更に深く感じさせてくれるものだった。影正は、アイムは、グラシャはあんな風に考える子であんな風に可愛い子たちだったんだと、舞台での彼らの様子を自分の頭の中で置き換えながら、その「笑顔」を思い浮かべることができた。そこは、普段からしゃべる言葉や、舞台の上で見せる動作を常日頃から書いていらっしゃる毛利さんの本質というか真骨頂が溢れていたように感じた。本当に作り出した人間たちへのその愛情をひしひしと感じることができて、心からお礼を言いたくなるのだった。
 そして、トルキアの子どもたちの背景をみっちり書いていくことで表れてきたのは、「本当の強さ」、「兄と弟という関係性」、「人同士が暖かく触れ合うことによって生まれる『変身』」 、「仲間と一緒に自分たちの未来に向かって戦っていくこと」という鎧武の物語のアーキタイプ(原型)だったんだなあと。ラストシーンとかね、まさしくそうじゃないですか。その原型が、今回のように色々な場所で、そして最終的には「自分自身」という場所で産み育てていくことが大切である・・というのが原作のスピリッツにあると思うんだけれど、この外伝の小説版でもくっきりと感じさせてくれたようにも思う。登場人物が変わっても、彼らが彼ら自身であっても、ちゃんとその大きな物語:鎧武の主人公であるように。
 この小説版って、物語が拡大していくでも同じ物語の中にある、その一つの姿なのかなあという気もする。本編の生きた紘汰さんが、外伝においてその周囲の人々を描くことにより「伝説」となっていった。そして、今回は、その外伝の描かれた貴虎さんが色んな人の視線で描かれることによって、「伝説」になり、原型化され、多くの人の心の中に根付いていく。でも、その反面、貴虎さんや彼らを取り巻く人々ががリアルに生きていたことを体感してきている人々には寂しいところもあるのかも、もっともっと彼自身の言葉も聞きたかった、そういうところも多分にあるのではないんだろうかとも感じたりもした。ただ、きっと、この鎧武という大きな物語が語りづけられる限り、きっとあの兄さん自身の生の言葉や更なる物語が聞ける日もきっとくるのかも、それは、彼がこの小説化において一つの原型となる役割を全うできたからこそできること、そんなことを感じた斬月小説のファーストインプレッションでした。