ラボを捨て、ビーチに出よう

Love-tuneから7ORDERへ:どこにいたって君がアイドルだ

舞台「何者」の感想(12/6夜)

 舞台「何者」千秋楽おめでとうございました!12月6日の夜公演に再び行って来ました!。同行させていただいた方に本当に感謝です!。2回目だったのですが、ひとつ驚いたのは前回見た時と大きく印象が変わらないことでした。お話のわかりやすさ、役者さんたちのお芝居は最初から完成に近くて、熱のこもった演技が毎回変わらないこと。これらは意外と簡単なものではないよなあ、たいしたものだよなあと思った次第です。そう思いつつも、ラストシーンの顕嵐くんの表情のすがすがしさ、ひとつ山を乗り越えた感じがより増しているようで更に胸に迫るものになっているように思いました。
 まったく原作を読まずに感想を書いてしまっていますが、今回の舞台「何者」のお話の一番好きなところは、5人の就活生の裏と表のあるドロドロとした気持ちや、情けない姿を描きながらも、全員の、そのクセのある何者にかなりたいという思いを肯定していいるところです。家族に振り回されて苦しんでいるミズキ、昔の思い人に会いたいというまるでお花畑のような思いで就活を続けるコータロー、人より一歩でも先んじるために自己中心的に突き進み人を傷つけ人に傷ついていくリカ、やりたいことはあるのに一つに決めて進んでいくことや失敗することに臆病になり隠れて就活するタカヨシ。そして自分の思いを抑圧するように俯瞰することで満足を得てタクト。誰もが、就職という「自分がなりたい何者かになる」ことに結果的には背を向けていて、そのせいでどんどん追い詰められていく。でも、この舞台の作者は、その彼らのいびつな思いと、その顛末をそのままに肯定し、明日への扉を開いているように感じました。

 二人の若い女優、加恋さんと香蓮さんの強さと激しさの表現の強さと説得力は「辛くてもそのままでいいんだよ」と告げていたように思えたし、お花畑な思いを胸に上手く就職活動をくぐり抜けた勝大くんのめっぽう明るい楽しい演技は、こんな子だったら一緒にいたいなあとついつい説得されそうだったし、主人公だけれどずっと傍観していた顕嵐くんには「自分の底にあるものを引きずり出させる」ようなダンスの場面で一転自分の奥底にある思いに光明を見出していくラストにつなげられていくという。彼らのお芝居の強さそのものが「存在の肯定」に直接繋がるような、そんな構成だったように感じました。
 最後に残ったタカヨシ。もう一人の思いだけは高く一歩も踏み出せない、いわゆる中ニ病なタカヨシ。似ていると言われ同じ思いを抱えていても烏丸ギンジのようには前に進んでいけないタカヨシの子どもっぽさは今の長妻くんの幼さのある演技だからこそ、生きている人物としてぴったり合うように思いました。二人は似ているのか、似ていないのか、それは明言されなかったけれど、タカヨシの思いの純粋さはきっとギンジと同じで、舞台の最後の一言で主人公に肯定され、彼の生きるよすがになっている烏丸ギンジと同じ可能性を秘めた人間であるとタカヨシは描かれているように思えたのですが、さてどうでしょう?
 ギリギリのところに追い詰められてようやく自分の足場を見つけ出し、自分自身として生きていくストーリーは、何歳になっても自分の気持ちを煽ってくれる、勇気づけてくれるもので、なんていうか初心に返ったそんな舞台でした。

 こんな風に、舞台「何者」は学生演劇的というか、自分探しのテーマが凄く心を打つのだけれど、青春ならではの演目をジャニーズJrの子が他の若い俳優さんたちと同じ立ち位置でぶつかり合って取り組んでるってのが凄く素晴らしいなと感じました。自分の存在をかけながら、劣等感や先のみえなさにおびえながら、傷ついて、自分の中に存在してるものを見つけ出して、自分がなるべきものを探し出して、表現していくこと。それは、ここに集っている若い表現者のみんなに、もちろんジャニーズJrの子たちも同じなんだろうなあって凄く感じました。この舞台と同じ時に、帝劇の稽古で頑張ってる子たちもきっと同じなんだろうなと。だからこそ、ここまで大きな舞台でなくてもいいのでこんな外部の若い俳優さんたちと真っ向からぶつかり合うような経験ができる子が多くなるといいなとも。いや、もっと変化は当たり前のように起こって、当然そういうものなんだ、自分もそうするんだと思う子が増えていくんだろうなってワクワクする未来も想像しちゃいます。もちろんこの二人がこのステージを踏めたというのもLove-tuneの先輩たちの経験もあったればと思うし。この輝きが二人の未来に、また周囲の人々へとどんどん繋がっていって欲しいなあと思うのでした。