ラボを捨て、ビーチに出よう

Love-tuneから7ORDERへ:どこにいたって君がアイドルだ

ハードランディングは辛すぎる・・

 夏の萩ちゃんの報道からこの方、ずっとアイドル(とかアイドル的な存在とか)とファンの要求や思いとのぎくしゃくを見てきて、なんとも言えない重苦しい感じに何か言いたくてもいえない・・そんな袋小路な思いを抱え続けています。でも、ここらでやっぱり一つ、自分の気持ちを整理しておきたいと思います。内容的には、これまでの自分の考え方を補完するもので、やっぱり「ファンのものとしてのアイドル」を好きな方々、その中にはライブやツイッターでお話するお友達もいるかもしれないですし、せっかくの仲良くしてくださる方は減らしてしまうとも思うのですが、こんな風にハードランディングな事案が続くと、やっぱり自分の考えを据えておきたいと思うのです。

 その個人的な結論は、一つで「ファンは自分の愉しみを与えてくれるアイドルを基本的に全面支持するべきである」となります。アイドルとして続けてきた様々な彼ら、彼女らの努力や、そして存分に楽しませてもらったお礼として、彼ら彼女らの「(一部のファンが定義する)アイドルを続けられない」という現実を直視して、一旦、お腹に収めるべきなんだろうなと思います。ファンがどんなに辛くても、やっぱりそれは一時的なこと。彼らの思いを前提として話を進めなければ、結局のところ、彼ら彼女らにとっては重荷になるだけ。アイドルとは「~あるべきである」と突き詰めれば、それは誹謗中傷と一緒になってしまうのだと思うのです。そのあたりの基本的な感覚は、あれだけ煽っておいて腹が立ちますが、マスコミの方がやっぱり常識的であったりします。その証拠に、あのサイゾーがそんな常識を言うとは思ってはみなかったよ!な記事が出ています。

www.cyzo.com

news.yahoo.co.jp

 リンクとして貼ったのが女子アイドルの子のお話になりましたが、多くのファンから求められながら「グループ抜けます」と言った3人の男性アイドルの子も基本同じ話であろうと思っています。職業としての「今、ここ」のアイドルとしての立ち居振る舞いと、一個の人間としての彼らの生活やポリシーは法に触れない限り基本別物であってしかるべきであるのです。それが憲法にも保障された「基本的人権」というものであり、その基本的人権という最も上位のコンプライアンスは、ある職業のみの、倫理であったりコンプライアンスによりも優先されるべきである・・というのは現代社会を生きる者としての基本なのだと思います。
 アイドルをしてきた若者が成人期に差し掛かり、ここから人生の本当に大事な選択をしなければならない、しようとしている時に、様々なトラブルに巻き込まれ、それは彼ら自身がというよりも周囲の要因の方が大きいだろうに、ファンの多数派が望む選択をできないこととがままある訳です。でも、そのような状況になると、少なからずのファンがそのアイドルの選択を大きな声で否定する。それは彼ら彼女らからしたら大きな落胆を生むことだと思いますし、そこでファンとの間に起きた二次的なトラブルが、大きくストレスになり、更に事態を悪化させることになってしまうんだなあと感じる今日この頃です。愛が呪いに変わらないこと、愛することが売れることに転換されないこと、楽しみを与えてくれた彼ら彼女らの健やかな成長を見守ること、それはファンにしかできないことなのだと思うのですよね。裏切られた・・と思うのではなく、これは「成長」であり、「前向きな別れ」なのだと思うようにすること、それがファンにとては大事なのかなあと感じたりする今日この頃です。
 そして、そういう不幸を生まないためのアイドルというものの再定義とそれに沿った運営がが運営にも、ファンにも、そしてアイドル自身にも求められていくのだよなあと思うのです。疑似恋愛だったり、ファン向けの過剰な精神労働を貫くことを、アイドルの倫理とみなしたり、あるいはもっと赤裸々に売上のためと求めないこと。「〇〇してあげたのに」になりがちな1人のファンに過剰にお金を使うように求めて行かない土壌を作っていくこと、が大事なのだと思います。それは本当に当たり前でつまらないと思われるかもしれませんが、まあ上にも挙げたようにそういういことをサイゾーが書く時代になってるということなんですよね・・・。
 個人的には、ハードランディングを避けるために、やっぱりファンである自分の物言いは大事なんだろうなと思います。ファンが自分が大切にしたいものを守るのは、「~あるべきである」という厳しい言葉ではなく、彼らと彼らが大切にしているものをきちんと見抜き、それを守る言説なのだと思います。「だったら、もういいや」と彼ら彼女らに思わせないこと。それは大切にしたいなあと思うのでした。