ラボを捨て、ビーチに出よう

Love-tuneから7ORDERへ:どこにいたって君がアイドルだ

もやっとする・・・

 いつも以上に本当にひとりごとなんですが、前事務所の後輩くんたちがうちの子たちが前事務所時代にやっていた曲を演奏して、今度、Jrの番組で披露することになったという話題。そのことや、それについて発言してる方々の内容が、どうにも自分の中でもおさまりが悪くて、「もやっと」して、なんか落ち着かないので少しだけ、自分の頭の中を整理しておきたいと思います。

 この件についてですが、大前提として自分は、まずはその後輩くんたちがうちの子たちがやっていた曲をやること自体については、まったくわだかまりはないのです。その曲自体いい曲でお蔵入りするのはもったいないと思っているし、その子たちがやることにも特に思う所はありません。そのグループのメンバーの中に、うちの子たちとも少しだけだけど関係があったりする子もいるので、たぶん少しだけ好意的かもしれません。何より、うちの子たちが独立して、バンドや音楽的な能力をどんどん高めていって、とうとう、その話題になってる曲と似ているバンドとダンスをミックスする曲を、自分たちで作ってレコーディングして、それが発売されているんですよ。個人的には、その話題になってる曲とは表面的には似てるかもしれないけれど、内実としては全然似ていない、思いの方向性が違う所に立ち至っていると思うのですね。だから、全然吹っ切れてしまってる訳なのです。
 では、何がもやっとしているのかというと、第一に、うちのファンの人達に対するものだったりします。前事務所で作った曲は第一にやはりその事務所のものであり、これまでの慣例で考えれば、よそに移った者が演奏できるものではない。うちの子たちはそれは十分すぎるくらいに理解していて、その過去の曲に絶対にすがったりせずに、新しい曲を発表し続けている。2022年になって、これからタイアップで発表する曲も入れたら、なんと6曲ですよ・・。凄いことですよ。そういう未来を自分たちの力で切り開いていってるうちの子たちにちょっと失礼な態度なのではないかと感じています。だいたい、その話題になってる曲は、とても高度にアイドル用の曲として作られているけれど、今のうちの子たちが目指すスタイルとは異なるもの(当てぶり前提ですよね。楽器を持っていて、ビートも素晴らしく効いているけれど、あれはバンド曲ではないですよね)であって、実際にやってと言われたら色んな意味で相当悩まれると思うのですよ・・。そういう前事務所時代と今の彼らの「違い」を意識してくれていないなあと、個人的に思ったりしています。でも、面と向かって言ったら、嫌われちゃうだろうな・・。
 次にもやっとしてるのは、その前事務所は、その後輩くんたちをどうしたいのか・・ということですよ。なんでも、うちの子たちと同様に豊洲のライブハウスでの単独公演が決まってるようです。年齢的にも序列的にもちょっとデビューには遠いんじゃないかと言われている彼らが、昔のうちの子たちと同じようなことをしている。これを喜ぶ人もいるかもしれませんが、その過去を経験した自分からすると、ライブハウスでの公演の成功後、うちの子たちがどんな目にあったかを実際に経験した自分からすると、「それをわかって繰り返すのって、毒親過ぎじゃね?」ともやっとじゃなくってもやもやも大爆発になるのです・・。もちろん、もう既に他社様のことであるし、内政不干渉であるべきだし、不吉な過去を乗り越えての一発逆転というストーリーを描こうとするのかもしれないし(だとするとこれまたうちの子たちにはなんであんなに・・とは思いますがね)、後輩くんたちやそのファンの人達も、何よりデビュー(というか生き残り)というものを前にして一歩も引けない状況なんだろうと思うので、更にどこにも言えないもやもやが膨らむのですよ。
 そして、また、うちのファンの人への思いになるのですが、あの場所でのデビューに関わる色々を経験していながら、そこでどんな風に彼らが大変な思いをして、最後にその古巣を辞める決断をした(もしくはせざるを得なかった)のかをわかっているのに、なぜにそんな後輩くんたちに直接に刃を向けるのか(だいぶ少なくなりましたけれどね)理解不能だなと、うちの子たち7人の少なくとも2016年からの歴史を見直してこい~と思ったりするのですよね。
 そういうように考えていくと、やっぱりどこかで非常にインモラルな選択システムを発動させることで、秩序やデビューシステムを保持しようとしている前事務所のやり方がやっぱり嫌いだなあと思うし、なんだかんだと最終的には支持してる心優しき人々にも、ちょっとだけ、これは本当にちょっとだけなんですど、もやっとして、何か落ち着かない感じが続くのでした・・。でも、うちの子たちがそこを辞めたのはみんながトータルに幸せになれるように・・という思いであるのだと思っているので、どうかそういう結末が訪れるよう、ぼんやり見守っていこうと思うのでした。