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ラボを捨て、ビーチに出よう

どこにいたって君がアイドルだ

「担当」という言葉

 色々とジャニーズやジャニーズファンのことを知っていくうちに出会ったのが「担当」という言葉。自分が愛していて、応援していることを指すこの言葉が、私は本当に好きだ、素晴らしい言葉だと思うのです。私もジャニーズの人ではないけれど、すっごく惚れ込んで応援している俳優さんがいて、その人への応援の度合いが深まるにつれて、単に「ファン」という言葉ではおっつかなくなっていくことを感じていました。

 過去作も含めて出演作はできるかぎりチェック。雑誌はもちろんのことDVDやブルーレイもできるかぎり購入。そして出演作のディスクや雑誌を購入すれば、その感想とかをSNSなどで報告をする。感想を報告する時には読んだ人がいやな思いをすることがないよう言葉を選び、その俳優さんに関心を初めてもってくれた人が興味をひろげらるよう幅広い話題を選ぶようにする。バッシングだってあるけれど、その人とその作品を推すことを何より第一にする・・・。まあ、もちろん、傍から見たら、自分の好き嫌いじゃないかと思われそうですが・・・

 自分の趣味で、自分の「好き」という気持ちから始まったことなのに、自分の気持ちに素直に・・・ということよりも、その俳優さんを応援することが一番の目的になっていく。ある意味、凄く不自然なことかもしれないけれど、その人のことをもっとみんなに知って欲しい、みんなに見て欲しい・・・そういう気持ちがどんどん膨らんでいって、自分の気持ちの面倒な部分は置いておいて、そのために突っ走っていく自分。加えて、そういう自分への変貌が、自分ながらに面白くって、一層嵌っていったところもあります。

 そういう自分の過剰さを微妙に持て余しながら不思議に思っていたので、ジャニーズファンの人が「担当」という言葉を使っているのを見て、その熱い思いに付随する「お仕事感」とか「義務感(運命感とも言う)」とか「やりがい感」のルーツがくっきり見えてすっごく腑に落ちたのでした。その愛する人を応援するのが「自分の仕事」。仕事なんだから、自分の存在をそこにかけていく。本当に、そういう気持ちというか気概に相応しいのが「担当」という言葉だし、だからこそ「担降り」という言葉が特別な意味を持つし、「はてな」を中心に個性と感性豊かな「坦降りブログ」というものが発生するのだろうなと思うし、そういう世界にすごく共感したりしています。

 で、翻って、そういう「担当観」に共感している訳なので、今、はっきりと自坦がいる自分には、Jr.も含めてジャニーズの誰かを「担当」と呼んだらルール違反(って自分ルールな訳ですがw)だろって思いで、無責任ではありますが、誰でも大好きなDDでいたいなと思ったりしているのです。しかしながら、年末くらいからちょっとずつ状況が変わってきている気もします。そう「自分"自身"エスコートできない 危険地帯へ~」っていうか。あー、この曲が頭に浮かんできちゃったところがもうダメなんだと思うんですが・・・(って、続く)