ラボを捨て、ビーチに出よう

Love-tuneから7ORDERへ:どこにいたって君がアイドルだ

ひるどき!さいたま~ずの萩ちゃん その2

 さて~、2022年2月26日の国立代々木第一体育館公演の朝がやってきました~。今、朝9時半。まだ正式に開催のお知らせがないのでドキドキもしていますが、どうか無事に開催できるように、現地に行くファンも行かないファンもみんなが幸せを分かち合える日になりますように、この青空に向かってお祈りいたします~。

 代々木はありがたいことに全ステさせていただけることになったので、その前に、先日、萩ちゃんがNHKのさいたま放送局に出演し、しゃべり倒した「ひるどき!さいたま~ず」の後半のまとめを載せておきたいと思います~。なお、初回のまとめはこちら!

tanusun.hatenablog.com

  後半は、出身地である埼玉県や所沢市にまつわるお話です~。()内は文脈を踏まえて、私が付け加えているものです。

  • 幼少期。家族から(ビデオ)カメラを向けられるのが凄く嫌いな子どもだった。だからずっと怒っている写真しかない。せっかく旅行に来てるのに動画撮りやがってみたいな感じだったらしい。何、この時間・・みたいだったらしい。2~3歳の頃、自分の声を聴いて、誰、この声?と思っていたのと違って凄く衝撃的だった。こんな声ヤだと思った。自分の思ったのと違っているので、聴きたくないと思っているのを凄く覚えている。それもあって、カメラが苦手な子でありました。(今となっては)考えられないですけど。
  • 弟が生まれてから、弟はシャイだったので写真の時にあまり笑ってくれなくって、自分は兄だから優しくして楽しませてあげよう、笑えるようにしてあげようと思って、そのあたりから変わっていったのかな。
  • 近くの市民プールや動物園には父親と一緒に行ってる写真が残っている。航空公園とか巾着田日高市。曼殊沙華公演があるらしい)とか改めて大人になってから行くといいところだなあと思うし、今だったら(お酒が好きになったので)酒蔵に行ったりとか、長瀞に行ったりとか、神社を回るのも好きなので、毎年どっかのタイミングで秩父は行ってると思います。あと家族で川越祭りはよく行きました。でも、埼玉は横のつながりがないというか、自分の住んでいる地域以外はよくわからないのは「あるある」ですよね。自分は、所沢とか入間とか狭山はわかるけれど、その他の地域はよくわからない。
  • 芸能界に興味を持ったのは、幼稚園の頃。叔母さんにSMAPとエグザイルのDVDをもらって、すっごくはまってずっと見ていて、「SMAPかエグザイルに入りたい!」って子どもの頃に言ってたんです。そんなことから芸能界に興味を持って、ピアノならったり、体操教室行ったり、ダンス習ったりしていました。その中でとあることから、ダンス教室の流れで、BJリーグ埼玉ブロンコスのチームのダンスサポーターみたいなのを3年くらい小学校の時にやっていて、周囲はほとんど女の子で男子は2人くらいで。そんな感じで人前で踊る機会はあった。「がんばれ、ブロンコス!」ってずっと踊っていた。最初のダンスサポーターにはエイベックスのガチの人とかいたんですが、2期の頃から僕たちのダンス教室に降りてきて、3期、4期とやらせてもらっていた。
  • その頃、並行してずっと芸能界を目指すための訓練をしていて、親が「こういうことやった方がいい」とレールを敷いてくれた。そして、こういう世界に足を踏み入れることができたんです。(アナウンサーさん:ご両親が芸能界に入ることに賛成してくれていたんですか?)。そうですね。うちは、やりたいことをやって、将来それで飯を食っていけたらそんな幸せなことはないよ、と言ってくれる親で。なんでもいいからやることを見つけておけっていうのが方針だったので。でも、やるんだったら覚悟持てよっていう感じだった。お父さんは身を犠牲にして一緒にやってくれて、「アクロバットもできた方がいいから」と体操クラブで一緒にやってくれて、「どっちが先にバク転できるか競争しようぜ」と言いはじめて(小学校3年生の頃)一緒に練習してくれたんですけど、半月板損傷をやっちゃって(ははははと笑う萩ちゃん)笑い事じゃないんですけど、身を挺してやってくれました。
  • (岩崎さん:お友達から何か言われました?)。僕、小5から入ってるんで、思春期は全部芸能界なんですよ。元々そういうのが好きでダンスもやっていたから、みんなもそれを知っていて、特に目立った反応はなくって。中学とか入って、先輩から「おー、何とかの女優とかには会えたのかよ~」みたいなことを言われたり、そういう絡みは凄く多かったです。でも、「いや、ないですよ、下っ端だから~」みたいに言ってました。心の奥では「うっせーな。何回目やねん」って言ってましたけどw。
  • (岩崎さん:埼玉に帰ってくることはあります?)高校からは東京へ行ったんですけど、地元の友達もいなくはなくって。今も付き合ってくれる友達もできました。少ないですけど、一緒にダイビング行ってくれる友達とかもいるし、今はあまりできないですが今度飲みに行こうよと言ってくれる友達もいる。そういう人たちが、僕の年でいうと結婚したりとか、子どもが生まれたんだよとか、そういう報告が増えてきて、なんか俺も大人になってきたんだなと感じています。そういう時期でございます。
  • 帰ってきてほっとする景色というのか、7ORDERを始める前に地元でコミニティに参加することがあって。音楽のコミニティなんですけど、所沢をメインでやっているスティールパンをやってるところで。そこに参加していたので、大人の友達がめちゃくちゃ増えて、その人たちが集まっている喫茶店とかBARとか居酒屋とか、そういうところへ行くと「やぁ~、よく見ているよ~」と言ってくれて、20も0も年上の人と友達の話ができて、今でも連絡がくると、「これが地元なのかな!」と思ったりします。そういうのがあると帰りたいなと思いますよね。そういう出会いがあったのが、ちょうどいい時期に出会えたので、それは感謝しています。(岩崎さん:萩谷さんは帰ってくる場所があるんですね)。はい~。
  • (岩崎さん:今後さいたまとどう向き合って仕事をしていきたいですか?)さっきも言いましたが、埼玉は自分の住んでいるところしか知らないので、単純に色んなところに行ってみたいなという気持ちはあります。僕の中学校の先輩に竹野内豊さんがいて、地元の中で恩返しできるような人になりたいです。この人、ここ出身なんだよと言われるようになったら嬉しいなと思います。近くで言うと、宮崎駿さんの愛した土地が近くにあったりとか、所ジョージさんとか、凄い人が近くにいるんでそのくらい大きくなりたいです。
  • 7ORDERは色んなことをしていて、踊ったり、演奏したり、たまに変なお笑いのコーナーもあったりして、メンバーも7人もいるので本当に個性的だし、やりたいことも様々で色んなところで活躍していくと思います。僕も役者だったりとか、最近では声優にも挑戦させてもらったりとか、表現の幅を広げているので、どっかで目につく、耳につくこともあるかもしれません。これからも頑張っていくので皆さんもどうぞよろしくお願いいたします。

まとめとして:45分間みっちりと語ってくれた萩ちゃん。そして暖かい受け答え(まるでお母さんみたいでした!)で上手く萩ちゃんのお話を引き出して、まとまるように道筋をつけてくださった岩崎アナウンサー、本当にありがとうございました~。これまで知らなかった萩ちゃんの過去も色々と聞けたし、大好きなワイワイスティールバンドとその時期のお話も聞けて嬉しかったですね~。その中で、萩ちゃんが確かな地元の「コミニティ」を持ってることが知れて嬉しかったですね。そのあたりはお話にもでてきたお父様の影響とか背景(それに頼ってるっていうんじゃないけれど、その土壌から咲いている感はあるなあっていつも感じています)があってなんだなあと改めてしみじみとしたのでした。萩ちゃんが持ってる不思議な「安心感」ってきっとそういうところから生み出されてるんだろうなって思っています。

 コミニティや地元というものを肌で知ってる萩ちゃんが芸能界という全国的でもあり無国籍であり、ある意味根のないところで、どんな花を開かせせていくのか、更に楽しみになった45分間でした。NHKさいたま放送局さん、本当にありがとうございました~。