ラボを捨て、ビーチに出よう

Love-tuneから7ORDERへ:どこにいたって君がアイドルだ

リスペクトの技術

 いよいよ明日は舞台「仮面ライダー斬月-鎧武外伝-」と東京千秋楽。初日からあっという間でした。萩ちゃんこと萩谷慧悟ファンの自分にはありがたいことに、あの後、17日、19日、20日、21日の昼夜と観劇することができました。リピーターチケットや当日券でも入ることができて、心ゆくまで萩ちゃんの晴れ舞台を堪能しています。脚本の妙、座組の巧みさ、そしてベテラン勢から若手までの熱のこもったお芝居。満足だけしかないのですが、それでも、まだ当日券の余裕もあるようですので、ぜひぜひ興味のある方は見ていただければと思います。

 ふらっと行っても、当日券でもこの素晴らしい世界が味わえる貴重な機会(ジャニーズジュニアのステージの取れにくさを考えると本当に天国でした)。ちょっとツイッターなどネットを検索していただければ、この舞台の評判が伝わると思いますので、ぜひぜひ東京千秋楽が盛り上がるよう、そして京都公演、ライブビューイングの成功につながるよう盛り上がっていけるといいなあと感じます。
 さて、舞台の評判で、嬉しいのが、ドラマの時からのファンの方、仮面ライダー鎧武ファンの方が「これはまさしく鎧武の世界だ」という方が実に多いこと。新たに加わったキャストのファンとしてこんなに嬉しい言葉は他にありません。特に昨今は「原作つき」作品については批判の嵐になることが多いことを考えれば、さらに凄いことだなあと思うのです。
 その理由はいくつかあるでしょう。まず、多くの人が指摘する、新たな舞台、新たなキャストではあるけれど、大胆に本編のキャラクターやストーリーを重ねたこと。本編の「想いの核心」をもう一度描きだすことで、ファンの人が自分たちが一番大切にしているものを尊重してくれたという評価につながったのでしょう。世界観とは「想い」なんだなあと多くのファンの人たちの感想を読んでいて感じました。
 また、あえて違うキャストだったからこそ「同じ」という認識にたどり着けた気もします。ファンに馴染みのあるキャラクターを出せば、そして馴染みのあるストーリーをつむげば、いくら同じであろうとしても、知っていれば知っているほど、小さな違いから「違う」という認識になってしまう。しかし、全く違うキャストで直接は目に見えない「想い」を演じれば、お客さんは自然と「同じ」ものを見出していく。それがこのステージの一番の仕掛け、見る側に自分の記憶や認識を引き出すための仕掛けづくりだったのだろうなあと感じています。
 そして、先輩と同じ演目を後輩たちが演じることで、双方のファンへの認識が変わっていきます。先輩ファンからすれば、自分のよく知っている演目を演じることで、自分の思いを乗せてその後輩を見ることになり、ぐっとの距離感を縮めることができる。後輩ファンも先輩ファンが大切にしている世界観を自分のものとしてみることができるようになる。思えば、そうした技法は、この舞台だけではなく、ショウビジネスにはよくある方法なのでしょう。歌舞伎も、宝塚も、シェイクスピアも、新劇も、アングラ芝居も、そしてジャニーズも同じように、その「スピリット」を次代につなげていっているんだなあと改めて思うのでした。
 特に、萩ちゃんが11月までいたジャニーズジュニアは、徹底的に先輩の後ろについてバックをつとめたり、先輩の曲を自分たちで演じることでコンサートを作るということを延々として育っていきます。もちろん、長じていくと、自分(たち)のオリジナル曲をやるようになるのですが、そうなってからも先輩たちの曲をやることに誇りを持ち、どのようにそれを自分の中に取り入れていくか、どのように先輩たちの曲を表現していくかについて徹底的に取り組んでいくのです。そして、ジャニーズを応援するファンたちは、そのオリジナルへの愛情と思い出までも加えて、新しいタレントたちへの思いを育てていくというところがあると思うのです。
 自分は萩ちゃんを応援してまだ3年ほどです。その中でも、ザ少年倶楽部などのテレビでのパフォーマンス、先輩のバックにつく演劇やコンサート、そして彼がメンバーであるLove-tuneのライブを見てきて目に焼き付いていた映像が、その後に見た先輩のステージで見つけることが何度かありました。「あれ?これあの時の萩ちゃんじゃん」と思うのですが、それは順序が逆で萩ちゃんが先輩たちのパフォーマンスを自分の中に取り込んでいたから生じたことなんだと思うのです。でも、萩ちゃんのステージの時にそれを直接的には自覚することはなかったので、いかに自分のものとして、はたまたグループのパフォーマンスとしてしっかりと落とし込んで新たなものとして作り上げていたのでしょう。そんな、ジャニーズジュニアの不思議な深さになんだか勝手にジンとしてしまっております。
 もちろん、これは多分に妄想めいた思いだったりします。それに萩ちゃんの今回見せてくれた舞台での力は今回の舞台で新たに身につけたものも当然多いでしょう。それでも、このリスペクトの思いと新たな表現へのチャレンジである仮面ライダー斬月という舞台に萩ちゃんがいたということは、きちんとした意図と理由があると感じたりもする今日この頃なのでした。