ラボを捨て、ビーチに出よう

Love-tuneから7ORDERへ:どこにいたって君がアイドルだ

ABC座ジャニーズ伝説2017 あらすじ編(ネタバレ注意)

 今年もABC座行って来ました~。10月8日昼と9日夜の公演です。今年は「ジャニーズ伝説2017」ということで、2013年、2014年の上演から3回目になるそうです。一度見たかった演目ですし、実際に見てみて、マッチ世代の自分には涙が出そうなくらい懐かしいというか、色んな気持ちが掻き立てられた舞台でした。まあ、小学生低学年の頃、まったくアイドルというものに興味を持てず一つ上のいとこに「フォーリーブスで好きな人一人決めて!」と命令のように言われて、しぶしぶテレビの歌番組を見て「青山くんかなあ・・」と思えば今に何か通じるような選択をし、その一方で何回も再放送され続けるアニメの「あしたのジョー」をそのたびに見続けていたアニオタ系の人間だったので尚更であったりします。なのでかなり感想は長くなると思うので、少しずつ書いていこうかなと思います・・まずは久々にあらすじが書きたくなったので・・ネタバレご注意ください。

 

  1950年代、まだ戦後の空気が濃厚に立ち込めていた頃。真家ひろみ(塚田くん)、飯野おさみ(五関くん)、中谷良(河合くん)、あおい輝彦(橋本くん)の4人は、占領軍の居住地域である代々木のワシントンハイツで子どもたちに野球を教えていたジャニーさん(戸塚くん)と出会い、その野球チームに加入する。あっという間にチームの中心選手となった4人。あおいはその野球チームに監督の名前を取って「ジャニーズ」と命名した。 ある雨の日。野球の練習ができなかったジャニーさんは4人を引き連れ、映画「ウエストサイドストーリー」を見に行く。その迫力とかっこよさに大興奮した4人を見たジャニーさんは、この4人を「ジャニーズ」というグループとして、芸能界に売り出すことにした。 ジャニーさんはあっという間にジャニーズにテレビの仕事を取ってきた。バックダンサーとしての出演だったが、わざと4人のシルエットしか見せない演出で「あの子たちは誰?」と大評判を取り、ジャニーズは踊って歌える若いアイドルとしての人気を高めていく。
 けれど、ミュージカルスターを目指すジャニーズの4人には、ステージでじっくりパフォーマンスを見せる機会もなくなり、人気に追いまくられる日々に次第に疑問を持つ。4人は自分達がやりたいのはミュージカルでありダンスなんだと。そのためには本場のアメリカに行こうと決意。ジャニーさんはすぐにその手配を整え、1966年アメリカに旅立つ。 アメリカを周遊しながら、ミュージカル見学とレッスンに励む日々。そんな中でダンスと歌のレッスンを積むためにたどり着いた「夢のハリウッド」。そこで、歌のレッスンをしてくれたのがバリー・ディボーゾン(戸塚くん二役)。ジャニーズも得意としていた「悲しき雨音」の大プロデューサーだった。ジャニーズの実力をすぐに見抜いたディボーゾンは、彼らを自宅に呼び寄せ、すぐに彼らにアルバムのレコーディングを依頼する。その中の1曲が「Never my love」だった。あっという間に準備が整い、十数曲のレコーディングが完了した。全米デビューも決まった。ジャニーズはアメリカンドリームを手に入れるその直前にいた。しかし、そこに届いたのは日本の所属事務所からの電報であった。日本を離れてすでに4ヶ月がたっていた。アイドルとして人気を博していた彼らにもう時間は与えられなかった。アメリカでの光り輝く全ての経験を忘れられぬ記憶の中に残して、日本に帰国することとなる(一部完)。
 1967年1月に日本に帰国したジャニーズを迎えたのは意外な逆風であった。グループサウンズ全盛の時代、ジャニーズが追い求めたミュージカルを基盤にした音楽はやや時代遅れに思われたのかもしれない。アメリカでレコーディングした「Never my love」をマスコミに聞かせてもあまりの上手さ故にかえって、ジャニーズ自身のものじゃないと疑われる始末であった。日本に帰って人気は保っていたものの、流行りの曲ばかりを求められ、彼らが本当にやりたかった音楽をすることはできなかった。再度の渡米もかなわず、次第に焦燥はつのり、自信も失いかけ、あおいも自問自答を繰り返す日々が続いた。そして、アメリカでレコーディングした「Never my love」はアメリカの別のグループが歌い全米No.1となった。そして4人は決断した。自分達が本当にやりたいことをやるために新しい道にそれぞれ踏み出そうと。ジャニーさんは君達が決めたのならそれでいいんだと背中を押したのだった。
 1967年7月、ジャニーズ解散の舞台のタイトルは「いつかどこかで~フォーリーブス物語」だった。この時のFour Leavesとは、それぞれに巣立ってくジャニーズの4人を木の葉に見立てたものだった。しかし、このステージでバックダンサーとして踊っていたジャニーズJrの4人が新たなよつばのクローバー・フォーリーブスとしてデビューし、国民的なアイドルグループとして成長し、ジャニーズ事務所は大きく羽ばたくことになった。それから40年以上、ジャニーズはその時代時代の新しいアイドルを生み出し続け、また舞台を続けて、その伝統を繋いでいる。そして、その歴史の始まりには、哀しくも奇跡のように美しい歌と美しい物語がある。「Never my love」、決して終わることのない愛の歌(二部完)。

 

まずはざくっとした感想だけ添えておきます。

 ジャニーズ伝説を見るのは初めてだったんですが、稀代のアイドルプロデューサーが時に見せるこだわりのルーツってここだったんだなあっていうのが色々とわかった気がして、見させてもらえて凄くよかったです。特に今年は史実重視、あおいさん重視でその側面がより強調されてたかも。ノンフィクションの部分に絞ったこと、ジャニーさんのお話に絞ったことはジャニーズファンだけでないジャニーズに興味のある人にもわかりやすくアピールする内容になっているように感じました。2部の怒涛の歴代レビューと合わせて内面ではなくジャニーズの大枠をストレートに見せていくものになってたなあと。
 最初に書いたようにマッチ世代なので、初代ジャニーズは時代のアメリカ文化へのリスペクトというか、そこしかない感じが、親世代の話を聞いてなんとなく実感できるというか。ダニーボーイズにも近い世界観というか。理想の世界に手が届きそうで届かなかった時代と、そこから新しい世代を作り出していった人たちの物語。
 全体的にストーリーはわかりやすく、凄く俯瞰的なのものになっていたかも。前のジャニーズ伝説のことはネットの記事でしか知らないけれど、それを読む限りは今回は、ジャニーさんらしい表現とかよくわからなさをそぎ落としている気はするんですよね。病気の子どもの話も、ステージ上の役者が自分自身を語るところもない。そこはもったいない面かもしれないけれど、その分とても普遍的な気がするのですよね。9月のジャニアイとは反対の方向性で。
 それは演じる、A.B.C-Zやバックを務めたMADEとトラジャへの信頼の証しでもあるように自分は思いました。ひとりひとりが独立して物語を作ることができる者として、役者として語ることを全面的に任されたようにも見えて。それをえび兄さん達はぜんぜんぶれることなく堂々と演じていたなあって感じました。もう1度是非みたいです。