ラボを捨て、ビーチに出よう

Love-tuneから7ORDERへ:どこにいたって君がアイドルだ

何かぶつぶつと呟きたくなって

 今回のジャニアイはストーリーといいパフォーマンスといい、ジャニーさんのオリンピックへの思いみたいなところにテーマが集中していた。何しろ、戦争や大事故といった近代文明の暗黒面と対になって現れる人間の輝かしさの象徴がオリンピックなんだもんね。自らが経験し、これから経験するであろう2回のオリンピック。それにここまでまっすぐな愛を注ぐことができるジャニーさんの思いの強さ。ジャニーさんの舞台の魅力って、トンチキでも素朴でも、凄く強いメッセージがあるとこだな去年のジャニワとSHOCKでも思ったけれど、その「強さ」はやっぱりブレてなかったなぁと思う。

 その「強さ」の源は、巷で噂されている様なご自分でプロデュースしたいというような野心の表れというよりも、ジャニーさん経験した東京オリンピックへの愕きと称賛だったのかなと思う。第二次世界大戦で壊滅的な被害を受けた、そのたった19年後(今年は阪神大震災からもう22年も経っている)にあの大きなイベントを開催し、大成功を収めた。時代の変わり目だったのは、日本だけのことではないけれど、太鼓のような伝統文化も戦争に赴く若者たちに見える滅私奉公のような精神性といったものから、個人の力を客観的に競う近代文明へ鮮やかに切り替えたその時代を目撃したこと。その「体験」が色濃く出ているように思えた。

 そして、言葉よりもとにかくパフォーマンスであらわされる舞台。高度な演目を詰め込んだ舞台を繰り返し繰り返しやっていく。その毎日の中で、繰り返しのドリルの中で、体感していくもの。出番の多い者も、出番の少ない者も、スポットライトを浴びる者もも浴びない者も、それぞれに大変さと退屈さに襲われる舞台。その与えられた、制約された条件の中で輝き続けられる、意義を見つけ続けられる体力と精神力を問われるのだろう。そして、もっと大事なのは、その葛藤の中で、本当に自分のやりたいこととは?、をもう一度考えさせるように仕向けられていることではなんじゃないか。このあたりはステナビのすのインタビューにかなり触発させられているのだけれど・・

 去年のジャニワでのジャニーさんのJrの子たちへのメッセージは言葉としてわかりやすく、伝えられる形があった。ちゃんと読めばわかちゃんわかる。でも、今年はそこには一見何も書いていない。ただただ体を動かし、同じセリフを言う中で、同じ演技をしていく中で、いやおうなく「自分」というものに面せられるような舞台。そういう風に考えると、やっぱり、去年と同じように今年の新春舞台も長い長い教育としての現場だったようにも思う。そして、マニュアル化されるのが当たり前、教え方も合理的に無駄なく習得されやすくされるのが当たり前、そんな平成も30年になろうとする世の中で、こういうものがひとりの人の意思の形としてあることの凄さ、面白さがあるなぁと思うのだった。

 そんな面倒をしないで、もっとわかりやすく、楽しく、可愛く、カッコよく供給されるものが本来のアイドルなんだろうになとは思う。「お顔最強!。顔ファン最高!」という楽しさがアイドルにはある。でも、こういう特異な経験を積んだ子たちが、それでもアイドルとして「これを見せたい!」と自ら立ち上がる時が来るのを凄く凄く期待していたりする2017年の始まりだった。

 あ~、やっぱりジャニーズの舞台はもっともっと色んな人に見てもらいたいなぁとつくづく思うのだった。